塩島の店主

 寛正さんは、黒桂生まれ。
 若いころは東京の大学で学び東京で就職しました。しかし、第二次世界大戦中に飛び込んできたのは、「ハハ、キトク」の知らせ。あわてて故郷早川へと帰ってきたのですが、「ハハ」は元気。
 なぜでしょう?
 新倉で商店を営んでいた寛正さんのお兄さんが戦争に行ったため、人手に困り寛正さんを呼び戻すためだったそうです。当時、その店では三里村の配給を一手に引き受けていたため、人手が必要だったのです。
 その後、寛正さんも昭和19年に満州へと召集されました。そして、昭和22年に新倉に帰り、しばらくはまたその店にいたのですが、昭和25年、出張所という形で独立して今の場所へ移ってきたそうです。当時はまだこの集落には他の店がなく、また住民、観光客達も多かったそうです。
 今でもすぐ正面には小学校と保育園があってにぎやかなのでは?と思ったのですが、児童が少なくなったり校舎も建て変わったりで騒ぎ声も聞こえてこなくなり、小学生が文具を買いに来ることもなくなってしまったと少し寂しそうでした。
 そんな寛正さんは、これまで町会議員、公民館長など数々の役職を歴任し、現在も漁業共同組合長や老人クラブの連合会長をしており、留守のことが多いそうです。そして、そんな忙しい生活を送っているから元気でやっていられるんじゃないか、と元気でいるための秘訣を語ってくれました。

  • 塩島の店主

寛正さん

居住地 三里地区 大原野・塩島
取材日 2001/12/02