温かい人

 「ここは町内でも一番過疎化した所」と、この集落で生まれ育った正芳さんは言います。ここの集落は三回火事にあいました。そのうちの一つに昭和9年の大火があり、その時焼け残ったのは親七面の七面堂だけだったそうです。
 この集落は台風後に、災害を恐れ、転居してできた集落です。昭和9年の大火当時は45軒の家があったそうですが、現在ではたった3軒になってしまいました。
 ここは早川町の穀倉で、米以外の作物はほとんど取れます。そば、あわ、あづき、しょうず、みつまた等を作っては、6尺道路をリヤカーを引っ張って、山から山へと峠越しに出荷したそうです。養蚕農家、炭焼き、山仕事、大工が多くいました。正芳さんの祖父は早川町へ山仕事に来て、木を川へ流して運んだそうです。
 正芳さんの家では今は大根や白菜などを作っては、七面様に御参りに来た人にあげて、よろこばれているそうです。今年は猿が来て半分くらい食べられてしまったそうですが、僕達にも取れたての白菜や大根を分けてくれました。
 住んでいる人は少なくなっていますが、それでも温かい人が住んでいる集落です。

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正芳さん

居住地 三里地区 大原野・塩島
取材日 2001/12/05