昭和のキャリアウーマン

 早川で生まれ育った明るいおばあちゃん寿子さんは、五人兄弟の三番目。兄・姉・弟・妹がそれぞれ一人ずついる賑やかな家庭に育ったそうで、朝早くから伺った私たちを、洗濯中にも関わらず笑顔で迎えて下さいました。
 聞けば、寿子さんは65歳になるまで30年以上も仕事一筋に生きてこられた昭和のキャリアウーマン。当時、東京オリンピックのために整備されていた新幹線の工事現場でも働いておられたそうで、一度はなんとアメリカでの仕事の誘いもあったそうです。結局は色々な事情があって地元に残ったのですが、この時もしアメリカに行っていたら、そのまま帰ってこなかっただろうね、と笑っておられました。
 もともと寿子さん一家は少し上の集落で暮らしていたのだそうですが、寿子さんは年齢を重ねたご両親のために、足腰の疲れない今の場所に自分の貯金で家を建てました。お盆にもなれば兄弟五人やそのご家族が集まったそのお家。今は寿子さんが一人で暮らしていらっしゃいますが、それでも休みには皆が集まる明るいお宅です。ちょうど私たちが帰る頃にも、甥御さんたちが割れてしまった部屋のガラスを直しにいらしていました。
 「今は何をされてるんですか?」という私たちの質問に、「今までたくさん働いたから、今は遊んでる。」なんて、さらりと答える寿子さん。しかし、激動の昭和を他人に頼らずたくましく生き抜いたそのパワーは今でも健在です。

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寿子さん

居住地 三里地区 大原野・塩島
取材日 2001/12/02
取材者名 小宮 一穂