雄舞う日

 キミエさんのお宅は、日用品を取り扱うお店をしておられます。軒先では、お庭の大きな柿の木からもいだ実が、干し柿にしてありました。その光景に立ち止まっていると、戸外に出てきたキミエさんにお会いすることが出来ました。
 昭和34年の伊勢湾台風で、当時住まわれていた家は埋まり、隣に新たにこのお宅をかまえたそうです。大きく成長した柿の木からは、とても伺えません。早川は雨畑のご出身で、お若い時は、静岡に働きに出られたこともあったそうです。お好きだった日本舞踊をそこで披露されたのだ、と教えて下さいました。
 日本舞踊は、15、6歳の頃から始められ、子供さんが手を離れたことを契機に本格的に習いました。その30数年の経験で、キミエさんは、名取り「雄素俄」になられました。名取り試験で踊られたという外記猿(げきざる)は、とても振りが細かく、確かな腕前でなければ、踊りきれるものではありません。今は、しばし踊りから離れていますが、お着物や小道具は、大事に保管されています。
 趣味を多くお持ちのキミエさん。日舞にはじまり、民謡、書道、編み物と多彩です。この日も、ご自身で作られたというセーターを着ていました。今は亡き旦那様の理解が深く、日舞に至っては、お稽古場所の身延までキミエさんを送り届けて下さったりしたそうです。
 集落の人々が少なくなっているのは寂しく、回覧板も、今では4軒先まで届けなければなりません。キミエさんが再び踊られる日には、住民ではなくとも、周辺の集落から生徒さんが集まってくるような、人々の良い意味での循環が成されているといいですね。

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