ゆりかごから墓場まで

 下湯島の人々はみなゲートボールが好きで、毎日午後になるとみんな集まって仲良くゲートボールをする。今年で88歳になるいとさんはそんなゲートボール好きの一人。県大会にも何回も出場した。みな仲がよく、練習熱心なので、大会の成績もなかなかのものらしい。下湯島でゲートボールがさかんな理由を聞くと、メンバーが一家族のように仲がいいことと、ゲートボール場に腰掛けがあること。ずっと立ちっぱなしはつらいのに、座るところがないゲートボール場は意外に多いそうだ。
 本当は今日もゲートボールをしにいくはずだったが、たまたま娘さんが来ることになっているので家にいた。娘さんはたまに顔を見せに来てはいろいろなものを買ってきてくれるそうだ。だから一人暮らしでもあまり寂しさは感じない。ただ孫が13人、ひ孫が23人もいるため、お年玉をあげるのは大変だという。たとえば一人1000円ずつ全員のひ孫にあげたとしても、23000円にもなってしまう。確かに大変である。
 40年くらい前までは焼畑であわ、小豆、大豆、そばなどを作っていたが、電力施設が進出してからは生活が一変したという。電力会社の職員のために、豆腐を作って売った。当時自分で豆腐を作る人が減っていたため、集落内でも1軒1軒まわって売ったりもした。炭焼もやった。昔はリヤカーに炭をいっぱい積んで、新倉まで人力で運んだ。1日2往復することもあり、朝早く新倉に向けて出発しても、2度目に下湯島に戻るときは、暗くなっていたこともあったという。かなり大変だったことが伺える。炭焼はほとんどの家でやっていたそうだ。水車も集落内に3箇所あり、そこでみんなでそばをひいていた。
 子どものころはお寺や川でよく遊んだ。当時からみんな仲がよかったという。現在は、ゲートボールだけでなく、月3回、お寺に集まってお経を上げて読む「お題目」という活動も行っているそうだ。生まれたときから現在に至るまで、そしてこれからも仲のよい関係は続いていくであろう。

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いとさん

居住地 西山地区 下湯島
取材日 2002/08/24
取材者名 遊佐 敏彦