下湯島の宴会部長

 以前は県の企業局に勤めていた勇さん。水路のパトロール等、発電所の仕事をしていた。大雨や台風の時は特に忙しく、水路に溜まったゴミを取り除く作業は、現在は機械を使うものの、昔は手作業だったので、2、3日間徹夜で作業したこともあったという。それでも合宿所に泊まって作業するときは、夜に仲間と麻雀をしたりして楽しんでいた。何事もにぎやかに楽しむことが好きだという。企業局を退職してからも非常勤で5年、さらに野鳥公園で3年間働いた。
 少年時代はペタンコ(メンコ)や竹馬、凧揚げなどをして遊んだ。祖父母が作ってくれた草履を履いて片道30分の西山小学校へ通った。普段は草履だったが運動会のときは靴を買ってもらった。川に入ってはヤマメやカジカを釣って食べた。
 下湯島も電力関係の開発で生活も以前より豊かになったが、人が少なくなってしまったことを少し寂しく思っている。昔はとにかくにぎやかだった。特に盆や正月にはみんなで酒を飲み、酔っぱらってみんなで集落中を歩いたという。春や秋の祭りには大人も子どももみんなで集まって、おでんを食べたりお酒を飲んだりした。それが何よりの楽しみであり、生きがいであった。とにかくみんなで集まって楽しむことが好きだ。そして自他共に認める「下湯島の宴会部長」。とにかく盛り上げることが好きだ。カラオケも下湯島で一番早く買った。「カラオケ愛好会」なるものを結成し、みんなで歌いまくったという。ただこれは1年ほどで自然消滅してしまった。「お祭りもカラオケも宴会も、みな人が集まらないからできないんだよ」と宴会部長は嘆く。

  • 下湯島の宴会部長

勇さん

居住地 西山地区 下湯島
取材日 2002/08/28
取材者名 遊佐 敏彦