地域を伝える

 建設課の義正課長は、現在55歳。早川町に住む人の顔は見れば大体わかるという、ベテランの役場職員だ。
 子どもの頃は、遊び半分、手伝い半分ということで、炭焼きや養蚕のお手伝いをしていた。炭焼きでは特に炭を入れる俵を編むのが仕事で、1日に何個、というノルマまであったらしい。同級生は、その当時では少ない方で16人。学校まで4kmの道のりを下湯島の子どもたちが一緒に登下校した。道草遊びをしながらの道中である。季節ごとにいろいろと木の実などを取って食べたそうで、「この時期だったらクルミだな。」と即座に出てくるあたり、さすが、という感じだ。
 昔の子どもの方が、良いことでも悪いことでも先輩から教えてもらったから、何もなくても遊び方のノウハウなどを知っていたし、知恵もあって、そういうのがない今の子どもはかわいそうだ、と義正課長は言う。ちなみに義正課長のお子さんは、大学3年生の男の子。普段は八王子にいるが、今は夏休みで1ヶ月くらいこちらに帰っているということで、「経済学部のくせに不経済なことばかりする」と言いながらも、嬉しそうな顔である。
 早川町の売りは?と聞いた所、「素朴な所だな」とのお答え。あまりに人が多すぎると、登山者の排泄物で川に大腸菌が増えてしまう問題のように、この環境が汚されてしまうこともあるので、ほどほどがよいとお考えのようだ。
 素朴さ、ということで言えば、下湯島は昔ながらの人情が生きている集落のようである。例えば、神社や広場などの公共の場所は、何も言わなくてもお年寄りたちが草取りや掃除をしてくれるという。「自分たちのものだから」という想いがあるからこその行動であり、そのようなお年寄りたちの姿を見ている義正課長も、「いずれは自分もやらなければ」と思うのだという。また、昔はお祭りで御神輿を担いでいたのに、今はそういうことが出来なくなってしまったことについて「人口が減るということは、行事がなくなる寂しさだ。」とコメントしたり、孝謙天皇にまつわる話を教えてくれたあとに「人口が減るということは、言い伝えなんかも減っていくということだ。」と言ったりする義正課長は、地域が伝えてきた目に見えないものを、とても大切にしているように見える。
 早川町をこれからどうするかということについては、「秘策なんかないよ、あったらとっくにやっているよ。」という義正課長だが、義正課長のような心意気を持っていることも、長い目で見た時の秘策のひとつなのではないかと感じる。

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義正さん

居住地 西山地区 下湯島
取材日 2002/08/30
取材者名 柴田 彩子