農園は西山の未来

 現在、西山農園で事務局長をされている裕美さんはもともと役場で、福祉、議会、建設、教育、出納室などの仕事をされていた。あらゆる住民と接することで、住民の気持ちを理解し、住民が望むことを自分が実行できたとき、何ともいえない達成感が得られたという。特に心に残っていることは教育委員会在職時に行った「赤沢町並み保存」である。文化の継承をテーマのひとつにしたプロジェクトであったが、計画は決して容易には進まなかったという。それでも一つ一つの問題を住民と話し合いながら解決し、徐々に成果が得られたとき、100%納得するまでには至らなかったが、それまでの過程が小さな誇りに思えてきたそうだ。建設課に勤めていた頃は、台風で崩れた道を職員一丸となって復旧作業をしたことが印象に残っている。微力だけれども少しでも町のために貢献できたと思ったそうだ。
 若いときは囲碁が好きだったようだが、最近は孫が教えてくれるパソコンが趣味である。ホームページをみたり、息子や娘とちょっとしたメールのやりとりをしたりもする。でも一番好きなのは旅行。息子や娘、孫をと一緒にプールや海に行くこともあるが、のんびりと一人旅もするそうだ。
 もともとは東京で生まれ、戦時中まで東京で育った。戦時中、祖母が住んでいたこの下湯島に親類疎開して以来、ずっと住んでいる。東京の生活になれていた裕美さんは、決して豊かではない山村の生活にとまどいや寂しさを感じずにはいられなかったが、周囲がみな素直で優しい子どもばかりだったので、うち解けあううちに、寂しさもなくなっていったという。人を裏切らず、人情味にあふれ、本音で語り合い、お互い助け合う。病気なれば畑を手伝う。そういう姿勢が西山の人々の間には、少年時代も今も変わらず存在する。それが先祖代々、無意識的に体にしみついている西山の文化である。
 そんな西山地区は早川町の中でも特に高齢化が進んだ地域である。お年寄りの生きがいとは何かを考えた上でできたのが、この西山農園である。西山温泉の宗吉さんとふたりでこの農園を引っ張っている。ここで暮らすお年寄りが作った野菜を、たとえ少しであっても買い上げ、西山地区を訪れる観光客に売る。そうすることで、お年寄りにはわずかでも現金収入が入る。それがやる気となり、自尊心となる。そして家に閉じこもることなく、また野菜を作る気になる。農園の草取りや店頭販売にもお年寄りの力を借りる。少しでも多くのお年寄りがゆとりと励みを持って仕事をすることで、活力となり、生きがいとなっている。農園を初めてまだ1年半ほどだが、徐々にその傾向が現れているという。
 西山の人々の暖かさを守り、活力を生み出す。裕美さんは過去、現在、そして未来の西山におけるキーマンの一人である。

  • 農園は西山の未来

裕美さん

居住地 西山地区 下湯島
取材日 2002/08/27
取材者名 遊佐 敏彦