母親の鏡

 下湯島に住んでいる節子さんは、静岡県富士宮市出身で、鹿島建設の下請けの仕事で早川に来たそうです。現在は、温泉施設である奈良田の里で働いているせいか、とても元気で若々しく見えました。ご主人と知り合って下湯島に嫁いできたそうですが、最初はとても不便で、都会が恋しいと思ったことは何度もあったそうです。当時は、不便なだけでなく食べ物の習慣なども違い、妊娠していた時に出された、おばく(麦を煮たもの)は食べにくかったと言っていました。しかし、下湯島の人達はとても良い人ばかりで、よく声もかけてくれるので、現在は不自由はあまり感じておらず、住みやすい所だと言っておられます。
 ところで、現在は奈良田の里の食堂にお勤めの節子さんですが、その前は慶雲館、白根館でもお仕事をなさっていました。下湯島あたりでは、慶雲館にお勤めの方が多く、富士吉田、鳴沢などから来た湯治客のお世話をしていたそうです。
 節子さんには、3人のお子さんがいて、高校生の時から甲府に住ませていたそうなので、大変お金がかかって、苦労も絶えなかったようです。今回、素敵なヨットの絵と一緒に写真をとらせていただきましたが、これは節子さんの一番上の息子さんが制作したもので、今度開かれる展覧会で大きな鷹の絵を含むこれまでの作品が展示されるそうです。この絵を制作した息子さんは体が不自由で、生まれてからずっと施設にいるそうですが、節子さんも鷹の絵を見た時は、本当に自分の息子が制作したのかと思うほどの出来ばえだったそうです。節子さんのお話を聞いて、母親の強さと苦労というのはものすごいものなんだという思いでいっぱいになりました。

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節子さん

居住地 西山地区 下湯島
取材日 2002/08/30
取材者名 福永 香織