36/50

 七面山表参道の36丁目、敬慎院まで約1時間のところにある晴雲坊。晴れれば富士山が目の前に見えるという眺めは、名前の通りすばらしい。
 ひとみさんは、18歳の時からこの晴雲坊にいる。高校を卒業する時、静岡での就職も決まっていたのだが、家の仕事だからということで晴雲坊へ行った。最初の頃は、お客さんに「お疲れさま」とか「ご苦労様」といった挨拶をするのもなんだかいやで、なかなか言うことができなかったという。しかし、今では立派な晴雲坊の主に見える。
 「ここにはいろいろなお客さんが来るのでおもしろい。」とひとみさんは言う。顔見知りになった人からいろいろな話を聞くのは、人生の勉強になるらしい。そういうお客さんを見つめながら、「金持ちだろうが貧乏人だろうが同じ、登るのは偉い。」とひとみさんは思う。会社の社長で普段どんなに威張っている人でも、七面山には自分の足で行かないといけないのだ。七面山は、欲のご利益はないそうである。つまり、社長が会社の「商売繁盛」を祈願してもご利益はない。社員の安全を祈願するならば、ご利益があるのだという。
 「あんまり言うと来なくなっちゃうから誰とは言えないけどね、芸能人もいっぱい来ますよ。」お山に来る芸能人は、ちゃらちゃらしていないし、質素な服装をしていて芸能人ということを見せない。そういう姿を見ると、これまた偉いなあと思うそうだ。
 七面山は、標高1900mの高い所に池がある。それが神秘的なのだという。日本全国はもちろん、海外からもお参りに来る人がいる所に行かないなんて勿体ないということで、ひとみさんもよく上まで行くそうだ。天気がいいと伊豆半島や甲府盆地、奥秩父の山々までの大パノラマが広がる。春と秋のお彼岸には、富士山の真上から出るご来光が拝めるとあって、カメラマンが大勢集まるそうだ。このご来光は、1回目で見られる人もいれば、7年8年来ても見られない人は見られないという。
 七面山は、普通の山と違って、下から上まで登りっぱなしの道中となっている。山岳部の人でも「この山はきつい」と言うほどだそうだ。それでも、病気から治ったばかりのような具合の悪い人でも登りに来たりするので、時にはヘリコプターが救助に来ることもあるという。ひとみさんでさえ、29丁の見晴台のあたりまで行くと酸素の薄さを感じるそうなので、なれない人は余計大変に違いない。
 時には、ひとみさんの同級生も、訪ねて登ってきてくれるという。世の中が休みの盆・正月はひとみさんの書き入れ時で、同窓会などもなかなか参加できない。だから、こうして登ってきてでもくれないと、友人たちにもあまり会えないのだという。ひとみさんは、小学校には歩いて通っていた。本建小学校の時代で、洪水になると赤沢を回っていったそうだ。山の中で木の実を採って食べたりしたのが楽しかったという。お店で何かを買うということもなく、「子どもの頃はお金もいらなかったよ。」という言葉は、今時の、お金を必要とせざるを得ない子ども(を取り巻く状況)への柔らかい批判なのかもしれない。
 ひとみさんは、取材していた私たちに、七面山に登ることを強く勧めてくれた。世俗を離れた高みに登って、心身を浄化してみるのもいいかもしれない。途中、36丁目では、ひとみさんが力強く送り出して、最後の1時間を登る力を与えてくれるに違いない。

  • 36/50

ひとみさん

居住地 本建地区 新道
取材日 2002/12/17
取材者名 柴田 彩子