荷背負(にしょい)の仕事

 吉美さんは七面山の登山口にある羽良集落に家族5人で暮らしている。
 取材の途中にたまたま妹さんが山梨市から尋ねてきて、姉妹で賑やかに昔の話をしてくれた。

 吉美さんの家は、昭和45,6年頃まで七面山の山頂にある宿に荷を運ぶ仕事をやってきた。その頃、七面山は日蓮宗の信者でいつも賑わっていた。荷の中身は食料などで、吉美さん姉妹も小学2,3年生から親と一緒に荷を運ぶ仕事を手伝った。この仕事は荷背負(にしょい)と呼ばれ、望月さんの家族以外は赤沢集落から来た女性が多かった。ちなみに吉美さんの父親は荷の倉庫の責任者をしており、その仕事は常便(じょうびん)と呼ばれた。

 荷は家の近くの倉庫から運び出し、朝7時に家を出ると帰るのは夕方5時頃だった。小学生にとっては大変な仕事だったが、それでも「その頃のほうが良かった」と妹さんが言うと、吉美さんも強くうなずいた。

 詳しく理由を聞いてみれば、荷背負の仕事は七面山に登るたくさんの人の役に立つ仕事だったのでやりがいもあったし、毎日いろんな人と触れ合うことはとても人間味があったと言う。
 またそのほかの昔の話を聞いていても、お正月やお盆に美味しいご馳走を食べること、山で山菜を採ってくること、集落の子どもたちみんなで手作り感覚の遊びをすることのすべてが、今の生活よりも何かが充実していたと感じるようだ。

 賑わいの中でやる仕事、触れ合いのある仕事、そんな昔の荷背負のような仕事が今の日本に求められているんだ。と筆者は感じた。

  • 荷背負(にしょい)の仕事

吉美さん

居住地 本建地区 新道
取材日 2002/12/15
取材者名 畑山 貴宏