過去の苦労があってこそ

 「ねーこれちょっとわからないから教えてー」と忙しそうにノートパソコンに向かうのは、春木屋本館と新館を経営する静子さん。偉いお客さんに手紙を出そうと思ってるんだけど、うまくプリントできないの。
 今年で61歳だというがよくよくきくと59歳だとか。「この年になっても何でも挑戦しようと思うのよ。我慢強く、今までずっとそうやって生きてきたから。商売上必要になれば、パソコンでも何でもやってみようと思うの。」
 「春木屋はもともと川向こうの、羽衣と赤沢の間くらいのところにあったんだけど、伊勢湾台風で建物が流されて今のところに移ってきたの。ここの本館は昭和41年7月20日オープン。」記憶力は子どもの頃から鍛えていたという。当時通っていた本建小学校までは歩いて1時間。「メモ用紙を家から学校まで行く途中に暗記したわ。」台風の時は丸太の橋が流されてしまうので、川を飛んで歩いたそうだ。そんな苦労をしながらも小学校では皆勤賞。中学2年でそろばん3級も取得。冬の日は雪道を下山まで歩いて通ったこともあったという。遊びといえば、おはじき、かんきり、めんこ、羽子板、竹そり。みんな遊び道具は自分たちで作る。おやつはさつまいも。自分でかりんとうを作ったりもした。金がなかろうが何しようが、山へ入れば何でもある。
 昭和21年に父を亡くし、その後、母と兄と静子さん3人で旅館をやってきた。子どもの頃から旅館を手伝っていた。宿泊だけでなく、草餅を売ったりもしていた。決して楽ではなかった。しかし、最初は35坪で始めた店を3軒にまで大きくした。人から嫉まれたこともあった。仕入れのために取得した車の免許は、昭和45年当時は女性としてはまだ珍しかった。団体客は多いときで100人近く来る。朝の3時起床、4時食事、5時出発の参拝客の日程にあわせて、深夜1時から弁当と朝ご飯を作ることもあるそうだ。忙しいときは親戚や知り合いが手伝いに来てくれるから助かるという。
 何でもチャレンジしようとする静子さんは、3年前からキノコの栽培を始めた。「今年は出たのよ。それがうれしくてうれしくて。私は百姓をやったことがないから、芽が出ることが当たり前だと思っていないの。だから出たときの感激はこの上ないのよ。それが楽しみで楽しみで。椎茸と舞茸をを作っているんだけど、土の中に、菌を注入した原木を入れて木の葉をかけるだけ。あんたでもできるわよ。プランター使って。椎茸ならお風呂でも出来る。」
 最後に自慢の旅館を案内してくれた。大きな浴槽が売りのお風呂場や客室、ボイラー室。「維持費だけでも馬鹿にならないのよ。それに税金が高すぎるわ。」といいながらも全室から白糸の滝が望める各部屋をうれしそうに見せてくれる。
「人の思いやり、優しさがないと客は来ないの。」といいながら外でわざわざ暖かい缶コーヒー買ってきてくれた。「うちはサービスいいよ。よすぎるよ。人は苦労しなくてはダメ。過去の苦労を振り返って我慢ができるの。そして苦労した人でないと人の思いやりが分からない。それから親を大事にする気持ち。私たちは親子2代でこの旅館を作ってきた。私は5年前になくなった母を最後まで面倒見たの。だからあなたも親を大事にしなさい。」

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静子さん

居住地
取材日 2002/12/14
取材者名 遊佐 敏彦