弁天堂のお茶目な堂守

 朝早くから新道の奥にある弁天堂を訪れた私たち取材班。こんな時間だし、もしかしたら誰もいないかな‥‥そう思った時、ひょっこり姿を見せた堂守さん。それが法清さん(本来は法清上人とお呼びするべきところですが、あまり堅い方ではないので、ここでは敢えて法清さんとしておきます)でした。「暖を入れておきますから、その間にお滝でも見てきて下さい。ああ、でも下が凍ってて滑るから気をつけて」にこやかにそう言われ、私たちは言われたとおり弁天滝を一通り写真に収めた後、また弁天堂へと戻りました。
 法清さんは部屋で弁天堂にまつわる資料を用意して下さっており、まずはその由来などを話してくれました(これについて詳しくは見どころの「弁天堂」で)。
 その後、私たちの取材の趣旨を説明し、法清さん自身のお話を聞くことに。法清さんは愛知県生まれの70才。ここへ来る以前は、愛知の方でご夫婦揃ってハウスクリーニングの仕事をしておられたそうです。その間も在家信者だったそうですが、ある時、愛知県妙道寺の伊藤上人という方から、弁天堂の堂守がやめるので代わりを探しているという話があり、お世話になった上人への恩返しのつもりと、折からの不況と年齢から清掃業に感じていた限界を理由に手を挙げ、平成9年の8月にここへやってきました。
 来た当初は、この辺りの自然の、あまりの厳しさに愕然とすることも多かったそうです。台風で川が氾濫し橋が流されてしまったり、冬になったら1m50cmもの大雪が降ったりで、内心「え゛~っ」と思っていたとか。集落の人たちもそのたびに「さあ帰るぞ、もう帰るぞ」と言っていたそうですが、法清さんは一つの区切りと言われた3年を過ぎても、まだ帰りませんでした。法清さんにとってここは自然が厳しい代わりに人肌の温かい、人情味のあるところで、故郷の町から離れても不思議に寂しくなることはありませんでした。滝壺への道が崖崩れで壊れても、赤沢の内藤工務店がすぐに直しにきてくれたり、まだ僧侶の資格を持っていなかった法清さんに対しても集落の人は「お上人さん、お上人さん」と慕ってくれていて、帰ることなんて考えていませんでした。
 こうした様子を見ていた弁天堂の住職、伊藤上人は法清さんに「そろそろ坊さんにならんか?」と持ちかけました。その時はこの際だからと頷き、さあ今日から坊さんだと張り切った法清さんでしたが、後になって、僧侶になるには大学へ行って試験を通らなくてはいけないことを知り唖然。それでも身を奮い起こして身延山大学に通い始め、学科試験に向けて勉強を始めました。大学では教官に「なんでまたその歳で僧侶に?」と聞かれ、「いや、ちょうど頭がハゲてるので」と答えたそうです。その後、学科試験に通り、愛知での読経試験も乗り越えて、平成12年5月、法清さんは「法清上人」になりました。
 教官とのやりとりでもそうですが、法清さんは修行としての不便な生活の間も笑いを忘れません。弁天堂から遠く離れた集落の脇にあるポストも、法清さんに言わせれば「あれは大邸宅の入り口みたいなもの」なんだとか。また、宅配を取りにハチマキ姿にかごを背負って歩いていると、「山菜でも採るんですか」と聞かれ「いや、冬だから採れないよ」「じゃあ魚でも捕るんですか」違うって、と思いながらも法清さん「そうね、ここらはタコだのサケだの上がってくるね」。日は変わって作業着姿で川仕事中の法清さん。外から来た人はその辺の村のおじさんだと思っている。通りすがりに面白いところはないかと訊かれ「あすこのお宮、良ければお参り下さい」と答えておく。その間にさっと法衣に着替え、本殿から姿を現すと相手はびっくり。法清さんは何食わぬ顔で「おや、どこかでお会いしましたかね?」と一言。取材中もこんな調子で取材班は笑い通し。ご本人も「僧侶らしくないよね、ギャグが多くて。吉本に入る方が早かったかな」と笑っておられる。いやいや、参りました。
 話が早川町の集落の話になると、法清さんはあまり他の集落名をご存じでない様子。不思議に思う取材班に、ここは宣伝して人を呼ぶところではなく、人を「お待ちする」ところ、という法清さん。師匠のお上人にも「おまえたちは田舎のじいさん、ばあさんであって偉そうな講釈など必要ない。ただ人がやってきた時にお茶でも入れて労をねぎらって差し上げろ」と説かれ、以来ずっとそれを守っているのだとか。だからいない間に誰か来たらと思うと、あまり家を空けることはできない。でもそのせいか、昔は職人肌で気が短かったのが、いまでは浮き世の損得も感じないし、とても穏やかな気分になれているという。
 最後に、ここでの生活は楽しいですか?と訊いた取材班に法清さんはこう答えてくれました。修行中の身ゆえ、楽しいですと答える訳にはいかないけれど、日々の生活に小さな喜びはたくさん見出している。いつまでここにいられるかは人事異動しだいだけども、自分としては生涯ここで暮らしていきたいと思っている、と。そんなお上人の言葉に取材班は感銘を受けました。そして最後に一言。
「今後ともよろしくお願いします」

  • 弁天堂のお茶目な堂守

法清さん

居住地 本建地区 新道
取材日 2002/12/12
取材者名 小宮 一穂