師徳永銘

 仲の良い豊、昭世さんご夫妻。塩之上については「ここは元気なら住むのに良い所だよ。老後にここに来るのもいいよ。ここは早川町のウクライナだよ(!?)」と話してくれました。
 昭世さんはこの素晴らしい旦那さんを支え、元気にしています。畑では大豆を育て、それを使って味噌をつくり、親戚にあげているそうです。日本一おいしいお味噌!!
 豊さんは25歳の時、昭世さんと結ばれて、この塩之上に来ました。戦時中はさまざまな辛い経験をしてきましたが、それによって人生を左右するような出来事がありました。
 それは、戦前台湾で8ヶ月ほど国民学校の先生を務め、民族の違う人たちを相手に熱心に教育したことです。その経験を活かし日本に戻ってからも五箇で17年間、都川で9年間、一宮町で2年間、早川南で4年間、さらに曙で3年間、原で2年間の計40年間近く教員をやったのです。一宮町と早川南では校長を務めました。豊さんと話をしていて、話し方や説明が非常にわかりやすく、40年のキャリアを感じました。
 現在は退職されて、畑仕事をしているのですが、台湾の教え子から今でも手紙をたくさんもらいます。早川町まで訪ねる教え子もいるそうです。逆に豊さんの家族で台湾を訪ねた時は現地での費用をすべて負担してくれるなど、自分を恩師として大切に思ってくれる彼らの精神にとても感謝しているのです。
 その中で最も感謝し、豊さんの宝となっている事は1997年に以前勤めていたいた台湾の国民学校が100周年を迎えた時に、その学校から電話をもらいぜひ式典に参加し、感謝の楯をうけとってもらいたいと要望があったのです。しかし日程的に難しく参加できないのでせめて楯を送って欲しいと頼んだところ、「送ったのでは心が届きません。それでは私たちが豊さんの家を伺います」と言われ返す言葉もなかったそうです。そして「師徳永銘」と刻まれた立派な楯(写真)を受け取ったのです。それについて豊さんは「台湾、中国、韓国の人は日本人ととても似ているよ。ただ人間としての人情に抜け目がないねー。そして根深い思想を持っているよ。」と教えてくれました。
 「どのようにすれば、このような立派な恩を受けられるのですか?」と尋ねたところ「私は台湾での教育期間は短かったけれども、彼らを人間として大事にすることで、人間の心を動かした。」と力強く語りました。
 僕達が取材を終えて帰ろうとした時、今までに豊さんが勉強した莫大な量の本を見せてくれました。豊さんから学ぶべき点は、たくさんあるということを痛感しました。
 これからも日本と台湾との交流を続け、「人間の心を動かす」すばらしい方でいて下さい!!!

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豊、昭世さんご夫妻

居住地 五箇地区 塩之上
取材日 2002/02/25
取材者名 板野 新世