助け合えば一人暮らしも大丈夫

 縁側に、にんじんやごぼう、真っ赤な小豆が干してあります。このお宅でいそ子さんはお一人で暮らしています。いろいろ大変ですが、食べていくことができるので、生活できます。
 昭和36年の大火の時には、一家そろって留守で、戻ってきたら一面火の海で、本当に驚いたそうです。家は燃えてしまいましたが、家族はなんとか無事でした。隣の集落に幾日か泊まり、小屋を建てて寝泊まりして火事の後始末をしました。
 そのころはいそ子さんのお宅でお店をやっていました。しかし、火事でお店も焼けてしまいました。後には缶詰などが燃え残り、振るとカラカラ音がしたそうです。残念ながら、お店は火事のせいでやめてしまいました。
 当時は、隣のおうちも店をやっていて、さらに、隣の集落にも1軒お店がありました。なぜこんなにお店がたくさんあったかというと、そのころ、東京電力が塩之上のそばの播磨沢で大規模な工事をしていて、その仕事をする人がたくさん来ていたからだそうです。そういう人は大抵は飯場に寝泊まりしていましたが、中には、塩之上の家に間借りしているような人もいました。トンネルの工事をするような人たちなので、荒っぽい人が多かったそうです。
 最近のいそ子さんは、畑仕事が主な仕事です。畑は、家の周りで一反歩くらい。大豆だ、モロコシだ、小豆だ、黒豆だ、青い豆だ、サツマイモだ・・・と作っていました。しかし、足が悪くなってしまい、今年は作ろうかどうしようかと迷っている所です。
 とれた作物は、何かもらったときのお返しなどにもします。野菜などの荷物を送るときは、豊先生のお宅に持っていけば、送り先を書いて送ってくれます。ここにいれば、他の人がいろいろ助けてくれるのです。
 例えば、向かいの人は、富士宮で大工をしていますが、休みの度に塩之上にやってきます。そして、いそ子さんの家の屋根を直してくれたりします。(実はいそ子さんの旦那さんは大工さんだったのですが、大工をついでくれる子がいませんでした。それで屋根の修理も他の人に頼むのだ、と、ちょっと残念そうにいそ子さんは言っていました。)また、仲の良いつねえさんに、「豆腐ひっくり返すのを手伝ってくりょー。」と言われ、手伝いにいって、夕飯を呼ばれたりもします。
 近くにお店がない所で一人暮らしをしていても、近所の人たちと助け合っていれば、楽しく暮らすことができる。いそ子さんのお話を伺って、そのことがよくわかりました。

  • 助け合えば一人暮らしも大丈夫

いそ子さん

居住地 五箇地区 塩之上
取材日 2002/02/26
取材者名 柴田 彩子