先生と授業

 生まれも育ちも塩之上の正行さん。5人兄弟の長男で、父親を若い頃に亡くされて、兄弟や子供達を養う立場に。百姓ではなかなかやっていけないので、東京電力へ勤めに出た。また、若い頃から村会議員を務め、早川町が出来るときには、いろいろ頑張った。その後には、町会議員も務めていた。今でも、いろいろと役職を持っており、お話を伺った時も、後には農業委員会が控えていた。
 前日に取材のお願いをしていたところ、塩之上の歴史について詳しく調べておいて下さった。その内容は多岐にわたり、特に早川町が今のような形になるまでの合併の歴史と、寺院のことについては詳しくお話いただいた。ただし、塩之上の詳しい歴史については、火事で書類が焼けてしまって正確なことが分からない、と残念そう。我々は、早川町の歴史について授業をしていただいているようで、非常に嬉しかった。
 また、塩之上というのは、いろいろな技術・文化を取り入れて来た所。例えば、電気(大正11年)、水道(昭和29年)とも比較的早く入ったし、獣害防止の電柵はもう10年以上継続している。昔はたくさん人が居たけれど、今は少なくなった。子供達がこっちに来てもいいけれど、働く場所が無い。また、よそへ出ちゃえばいつ帰ってくるか分からない。だから今のうちにと、昭和61年には区民一同一丸となってお宮さん(塩上寺本堂)も新築した。昔を残すには鳥居の修理も考えなければ、と将来のことを心配。
 今は百姓をしている、とはいえ大豆を少し作っているだけで、昔のように熱が入らず、サルとのけんかだ、と笑う。
 楽しくお話を伺っていたところ、農業委員会の時間が来てしまった。その時、最後に一言「ゲートボール歴16年」。奥さんと共に薬袋の交流センターで、楽しくプレーしている。

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正行さん

居住地 五箇地区 塩之上
取材日 2002/02/27
取材者名 伊藤 栄介