熊に好かれた男
健次さんは4歳の頃に、長野から早川に引っ越してきました。お父さんが山の仕事をされていて、その関係で早川町に住み着いたそうです。健次さんも、若いころは山仕事をされていたとか。山から木を切り出すのが主な仕事だったそうですが、まずは、お父さんのころと、健次さんのころの仕事の違いを教えてもらいました。
お父さんの頃は、切るのにはノコギリとヨキ(オノ)を使い、切った木を引っ張り出すのに「木馬(キウマ)」を使ったそうです。「木馬」とは、木製のソリのようなもので、その上に切った木を乗せて引っ張り出すそうです。とにかく切って運び出すまで全て人力で行い、とても大変でなおかつ危険な仕事だったとか。それに比べて健次さんの頃は、切るのにはチェーンソー、運び出すのには架線(索道)を使い、ずいぶんと楽にはなったそうでが、それでも厳しく危険な仕事であったことは変わりないとのことでした。
健次さんは、その山仕事の関係で、あちこちに出かけました。山梨県内の山はもちろん、静岡、神奈川、長野辺りに出かけることもあったそうです。まず春になると「入山」し、そして雪が降り始めるまで、何かの用事のときは家に帰ることも出来ますが、それ以外は「飯場」と呼ばれる山の中にある宿舎に泊まり込んで仕事をしました。「飯場」には日本全国から人が集まり、いろんな方言が飛び交うそうです。お酒を飲んで喧嘩になることもしばしば。
またあるときは、山の中で熊にも遭遇しました。小さく可愛い子グマが木の上にいるのを見つけて、みんなで近寄ってみると、突然、木の下にいた親熊が立ち上がりガオーッと威嚇してきたんだそうです。親熊と自分との距離は、ほんの1メートルぐらい。慌てて走って逃げ帰ったそうです。その他にも、家の前から山の奥までトロッコが引いてあった話など、山での出来事をいろいろと聞かせてくれました。
そうこうしているうちに、林業をとりまく状況も次第に厳しくなり、30年ほど前に山仕事はやめて、それからは土木関係の仕事をされて現在に至ります。そして、この間にもまた熊に遭ってしまったというエピソードを聞かせてもらいました。このときは堰堤をつくる仕事をしていて、仕事場にグリースの入った一斗缶が置いてあったとか。そのグリースを目当てに熊がやってきて、一斗缶を頭からかぶってしまい、なんと抜けなくなったんだそうです。そして熊は堰堤の上に座り込んでしまったとか。まるで漫画のような笑い話だと、そのときのことを振り返ってらっしゃいました。
同級生もほとんど町外に出てしまい、「よそから来た自分がなぜか残ってんだ」とおっしゃる健次さん。息子さん夫婦とかわいいお孫さんに囲まれて、ちょっとはにかみながらもとても幸せそうな笑顔が印象的でした。
健次さん
居住地 | 都川地区 白石 |
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取材日 | 2002/02/24 |
取材者名 | 鞍打 大輔 |