今はなき子供たちの伝承

 徳二三(のりふみ)さんは高住生まれの54才。高校を卒業後、早川町役場に就職し、現在は教育委員会学校教育課長を務めておられます。
 徳二三さんが子供の頃は、畑のかっこみ(雑草を刈って堆肥にして土に混ぜ込む作業)の手伝いや、自給用に飼っていたニワトリやヤギの世話は徳二三さんたち子供の仕事だったそうです。また、昭和45年に家族で角瀬に下りてくるまでは、台所や風呂に薪を使っていたそうですが、それらの薪(燃しっ木と呼ばれる枯れ木)を集めるまでは外に遊びに行くことも許されなかったそうです。
 そうした家の仕事をこなしながらも、徳二三さんの時代には楽しいことがたくさんありました。当時は子供の数が特に多かった時代だそうで、同級生も常に10人以上いて、いろいろな遊びを先輩達から教わっては、干した柿の皮やきっぽし(他の料理にならないような小さいイモを干したもの)をポケットいっぱいに詰め込んで、野山を駆け回って遊んだのだそうです。
 えさを仕掛けて獲物を箱に落として閉じこめる、ひらかけと呼ばれる罠を畑や竹藪に仕掛けて鳥を捕まえたり、二股になった小枝や竹の節を焼いて二つに割ったゴムカン(パチンコ)に太い鉄線を細かく切った弾を詰めて撃ったり、段ボールを切り抜いてぺたんこ(めんこ)を作ったり。お寺やお宮の境内でかくれんぼや鬼ごっこをしたり、時には他の集落の子どもとけんかをしたり。雪が降れば竹を割った一本スキーでひと滑り。川縁にあった荷揚げ用の桟橋をソリで滑り降りては、大人に見つかって怒られたりといったこともあったとか。
 こうして遊んでいるうちに手持ちのおやつがなくなっても心配はご無用。当時の春木川や早川にはウナギやカジカがたくさんいて、捕まえては家に持ち帰って焼いて食べたり、春先は川の石の下からカジカの卵を取って食べたりもしていたとか。他にも野いちご、熊いちご、あけび、山桃、へだま(榧の実に似た木の実)、川原ぐみ、石梨、山梨など、食べるものには困らなかった様子。渋柿に竹串で穴を開け、お勝手の残り火に一晩くべておくと、渋が抜けて美味しく食べられるようになる、なんて裏技も僕らに教えてくれました。
 このように上から伝わり下に伝えてきた子供達の「遊びの伝承」は、今はもうありません。与えられたものを使うのではなく、その場で工夫してものを作り出す力の源がなくなってしまったことを、徳二三さんはとても残念に思っています。
 でも、そんな徳二三さんが今、教育委員会で重要なポストにいるということ。それこそが、もしかしたら、早川町の子供達の遊びの未来を変える一つの大事な力になるのかもしれません。

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徳二三(のりふみ)さん

居住地 本建地区 角瀬
取材日 2002/12/17
取材者名 小宮 一穂