忘れられぬ味

 「あの肉うどんのおいしかったこと、おいしかったこと!」そうとみ江さんが振返る忘れられぬ味は、飯富にあった坂本屋の肉うどんの味。小学生時代から働き者だったとみ江さんは、裏山への薪拾いや水汲みはもちろんのこと、高学年になると忙しい御両親の代わりに幼い兄弟を背負って登校していました。そんなとみ江さんにとって特に大変だったのが、年に3回の繭運び。朝4時に起きて、養蚕でできた繭を御両親が、幼い兄弟をとみ江さんが背負って、現中富町の飯富まで山道を5時間歩きました。また家に帰ってくるのは夜の6時過ぎだったそうです。ヘトヘトになったとみ江さんが一番楽しみにしていたのが坂本屋の肉うどん。今でも何よりおいしかったと、なつかしそうに振り返っていました。
 冬の寒いときには河原の石を火であぶって、それを蹴飛ばして登校したそうです。手で触っても熱すぎない程度に冷めたら、それを拾って握りしめる。しばらくは暖かいので、そうやって寒さをしのいだとか。ちなみにその石を「あぶら石」と呼んでいたそうです。「田舎にはその土地その土地の知恵があった。以前はあった行事や風習が、今ではなくなっている。何でもかんでもやめるべきではない。昔の人は、道理にかなったことをしていたのだから。」と昔を振り返っていました。
 とみ江さんのポリシーは、常に努力するということ。16歳から静岡の紡績工場で働いていた時も賃金の半分以上を実家に仕送りしたり、早川町に戻ってきても17年間、「しょいこ」をしていました。七面山のふもとの羽衣から13丁目の茶屋まで、毎日60キロほど荷物を運んでいました。そして82歳になった現在も、料理、洗濯、掃除などの家事はすべてこなし、近所の方の服の直しをしたり、近隣18軒の組長さんをしたりと、精力的に活動しています。その元気の秘訣は?と尋ねると、「やっぱり、人一倍苦労してきたから」との答え。脱帽です。これからも、大好きなこの早川町で元気なおばあちゃんでいてくださいね!

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とみ江さん

居住地 本建地区 角瀬
取材日 2002/12/12
取材者名 本田 智比古