薬屋さんはちゃきちゃきの角瀬っ子

 薬局の看板お母さん、邦代さんは角瀬生まれ。もう高校生になるお子さんもいると聞いて、思わず「え~っ?」と言ったほど、快活で若々しい女性です。
 邦代さんは早邦建設の娘さんで、三人姉妹の末っ子。子供の頃は雨畑ダムの建設でこの辺りも賑わった時代で、角瀬にも薬屋、歯医者にパチンコ屋まであったのだそうです。祖母が常連だったパチンコ屋には、当時小学生の邦代さんも時々行っては、大好きだった森永のフィンガーチョコを狙ったとか。邦代さんの実家にはカラーTVもいち早く入り、集落の人がこぞって東京オリンピックを見に詰めかけたそうです。
 当時は早川が既にダムの放流に伴って遊泳禁止で、代わりに子どもクラブという高住区に住む小学5年生から中学3年生の集まり(当時は子どもの数が多かったので、低学年では入れない憧れのクラブだった)で、春木川をプールにして遊んだそうです。プールの開催にかけては早邦建設の人や近所の親などの大人たち、中学生らが協力し、重機なども動員して春木川の流れをせき止め、子供達の安全な遊び場を作ってくれたのだとか。今とは違って大きな石もごろごろしており、体が冷えたらその上に寝転がって暖まったりもしたそうです。当時は今の子供達より「川が近かった」とは邦代さんの弁。ちなみに、その頃小学生未満の幼児たちは、農業用水(田んぼに供給する水)が流れるせぎ(用水路)で水遊びをしたそうです。
 また、川の環境が良かったので周辺にはセリやフキが自生しており、良く子供達で採りに行ったそうです。イタドリ(フキのように茎の中が空洞になった植物)を採りに行くと、男の子に「大きいやつは中にヘビがいるぞ」なんて脅かされたりもしたとか。なんとも自然環境の豊かな時代ですね。
 そんな時代に生まれ育った邦代さんは、高校卒業後の進路に薬学科を選択し、薬剤師になりました。結婚してお子さんが生まれ、そのうち、通常の病院勤務では育児にも支障が出るのではということで、平成2年に角瀬に薬局を開業。七面山の入り口で薬局をやっていることで、今では近所の人のみならず、参拝者の拠り所にもなっているようです。中には途中で蜂に刺されたり、転んで腕を折って降りてくる人もいるとか。腕を折っていた人などは、本人はちょっと腕をぶつけて腫れたくらいにしか思っておらず、湿布をくれと来たそうですが、邦代さんから見れば骨折しているのは明らかで、病院を紹介し検査したところ、やはり骨折だったそうです。こうした邦代さんによる病気・怪我の早期発見が命を救うことにつながったケースも少なくなく、病院の医師には話しづらいことも"薬局のおばさん"には相談できるということもあり、邦代さん自身、少しは人のためになれているかなと感じるそうです。
 今の早川町の現状について尋ねると、邦代さんは少し考えた後で、「今は行政がアイデアを出しても、受け皿になれる町民が少ないから産業として根付くことが難しいね」と答えてくれました。町を背負う肝心の若者たちが忙しくて、それらのアイデアを実行する暇がなく、お金をかけた打ち上げ花火のようになってしまうことが多いと感じるそうです。
 最後に邦代さんが「とっておきの話題があるよ」と持ちかけてきました。話を聞くと、「私の母親、ミス山梨だったの」‥‥なんと!邦代さんの若々しい顔立ちの秘密が意外なところで明らかに。ちなみに当時は、戦後復興間もない頃だったので、ミス山梨はミス復興と呼ばれていたということでした。

  • 薬屋さんはちゃきちゃきの角瀬っ子

邦代さん

居住地 本建地区 角瀬
取材日 2002/12/13
取材者名 小宮 一穂