山に生きる農鳥の主

山に生きる農鳥の主

からっと晴れたある夏の日、青々とした空に映えるドラム缶が横たわっている。その上にずっかと陣取って峰の方を鋭く見つめる一人のオヤジがいる。南アルプス登山と言えば、白峰三山縦走を支える農鳥小屋のご主人深沢糾(ただし)だ。

「この時間じゃあ、到着が遅いなぁ」事あるごとに登山客に声をかけ、山の天気や情報をその都度伝える。これまでの山上での数十年の経験から、登山客に注意を促すとともに、積極的なコミュニケーションを取っているのだ。

糾さんは一年の三分の一ほどを山上で過ごしている。それだけに、山でのちょっとした自然や動植物の変化、山に訪れる研究者らとのコミュニケーションが、日々の気づきに一役買っている。またオフシーズン、ふもとの奈良田集落の自宅へ戻った糾さんは、そこでも休む間もないくらいに活動的だ。猟やキノコ栽培、養蜂、釣りといったように、生活圏目一杯をフィールドにした糾さんの日常は集落のなかでも異色な過ごし方だ。3000mを超える南アルプスの山の上から、早川の自然をじっと見守ってきた深沢糾から、どのような自然観が飛び出てくるのか、彼への密着取材を通して考察してみよう。

自然を畏れ、人を知る〜山小屋の親父の教え〜

 

農鳥小屋での生活

山の朝は非常に早い。糾さんの農鳥小屋での一日は、夜明けもはるか前の午前2時から始まる。まず登山客の朝食の準備をして、4時にはお客さんと一緒に、朝日を拝みながら体操をする。朝食は遅くとも5時には済ませ、次の目的地へと送り出す。お客さんを送り出し、6時頃に自分たちの朝食を済ませると、その後も片付け、布団干し、犬の散歩と大忙しだ。

10時頃、ようやく一息ついてティータイム。この辺りから、次のお客さんがぼちぼち到着し始める。糾さんはドラム缶の上に座り、登山客の到着を待ち構え、到着後は一人ひとりに声をかける。名前や住所などを確認した上で、どこから来てどこへ向かう予定なのかを必ず聞いている。それは、安全と行程に無理がないかどうかを判断するためだという。

「山では早発ち早着が基本。朝はまだ太陽も出ていないし、空気も涼しく歩きやすい。暑くない時にさっさと登ってしまった方が効率も良い」とは糾さん。そのため、午後になってから山小屋を出ようとしたり、夕方6時以降に到着するような登山客には、山の危険性を細かく伝えてまわる。

なぜ登山客に対して、そこまでの情熱をもって話をするのかが気になり、尋ねてみた。しかし、糾さん自身は元々、そこまで山に対して深い思い入れがあるわけではなかったそうだ。というのも、糾さんは静岡県浜松市の出身。少年時代は主に浜名湖で釣りを楽しむ日々で、山へは年に数回行く程度。結婚を機に早川町の奈良田へやって来て、奥さんの家業の山小屋を手伝うようになった。

 

登山者の安全を守る責任

そんな糾さんに、ある時、九死に一生の出来事が起こる。山小屋の補修に使うトタンの荷揚げの時、途中で雷の音が聞こえた。正直、怖かったが、仕事なので行くしかなかった。トタンを背負って歩いていると、突然ジリジリジリ!と音がした。その瞬間、トタンが青白く光り、わずか数メートルの所に雷が落ちたのだった。自分とは逆の方に電気が流れたので、大事には至らなかったが、こんな経験が山への畏怖と周到に準備することの大切さを教えてくれたのかもしれない。

また、当時は救助ヘリがないので、遭難事故が起きた場合は山小屋のスタッフが救助するしかない。そうならないためにも、登山客の危機管理に対する意識を向上させ、また登山道の整備や山のパトロールも積極的に行うようになった。糾さんは、「山では、いかに危険かということをわかっている人の話を、ちゃんと聞くことが大事」と話す。

また、こんな話もしてくれた。基本的に山小屋へ登ったら、そのシーズンは一度も奈良田の自宅へは戻らず、約4ヶ月を山で過ごす。奥様が病気で余命わずかと判明したときでさえ、これから夏のシーズンが始まるので山小屋を空けるわけにはいかず、医師には「4ヶ月後には戻るから、自分が下りてくるまで必ず生かしておいてくれ」と伝え、涙ながらに山を登ったそうだ。

山小屋に人がいると期待してやってくる登山客に対して、自分の都合で休みにはできない。それほどの覚悟と責任感を持って仕事に携わっている。 自然が与えてくれるんだよ  しかしながら糾さんにとって、山が教えてくれるのは厳しさだけではない。山で見られる地形、景色、植物、動物、そのどれもが日常のそれとはかけ離れている。もちろん一般的な娯楽は何もないが、このフィールドには楽しめる素材がたくさん転がっている。それを満喫しない手はない。そんなふうに考えているそうだ。

そして、天気が悪く塞ぎ込んでいた登山客が、朝になって晴れていると笑顔になり出発して行く。その姿を見送るのが好きだとも語ってくれた。

山小屋で暮らし、山にいるだけで楽しみを享受できるこの仕事は、自分にピッタリだと話す糾さんは、少年のようでとても楽しそうだ。

 

崩れゆく人と自然のバランス

冬は山小屋を閉め、奈良田の自宅へ戻る。しかしそこでも、糾さんは非常に活動的だ。きのこ栽培、養蜂、魚釣り、そして狩猟。どれも糾さんの生活であり、楽しみである。

きのこはホダ木を数千本置いていて、売るほどの量はないが山小屋での食事に利用している。養蜂は、蜂を殺さないように工夫した手づくりの巣箱を標高の高い山奥の多花を探して置いている。また、色々なところに生えているハーブを摘んで、ハーブティーにして飲むのも楽しみの一つだそうだ。

狩猟では、主にシカとイノシシ、そしてクマも獲る。猟をすることで、最近増えてきた農作物などへの獣による被害を防ぐという意識もある。糾さんは、栽培していたシイタケをサルに食べられたり、また山で高山植物がシカに食い荒らされた跡を発見したりしたことがきっかけで、食圧・踏圧(獣が植物を食べたり踏み荒らしたりすること)に危機感を持つようになった。山林を無秩序に伐採し、スギやヒノキを植林した結果、餌不足に陥ったことが原因の一つだと踏んでいる。そして、農山村の人口減少によって耕作放棄地が増え、獣も境界が分からなくなり、人里に下りてきていると考えている。

「以前は危険を犯してまで人里へは下りて来なかった。それに昔はあまり捕れなかったが、今は猟師も減って、いくらでも獲れる。だから、無理して獲ろうとする人は少ない。」少なくとも自分はできる限り猟をして、獣の害を減らしたいと考えている。

 

自然を畏れ、人を知る

「自然信仰(アニミズム)や山の神信仰など、自然には神様が宿り、畏れの対象なんだよ。」長年に渡る山での経験から、自然に対して畏敬の念を抱くということが大事だと話す糾さんは、「我々人間は決して完璧だと思ってはいけない」という気持ちを持って、日々を過ごしている。山小屋での生活、登山客との交流、動物たちとの知恵比べ。糾さんが自然とともに楽しく暮らせているのは、山や自然に身を委ねているからであるように見えた。糾さんの暮らしを真似をするのは難しいかもしれないが、その考え方や姿勢には多いに学ぶべきだと感じた。

  • 山に生きる農鳥の主
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ただしさん

居住地 西山地区 奈良田
取材日 2013/4/10
取材者名 並木義和