自力で生きる

 栄さんのお宅に伺って、まず驚いたのが飴色を通り越したような味わいのある梁が張り巡らされた古い建築でした。聞けばこの家は栄さんが生まれるよりずっと前に建てられたそうで、家の中央には立派な大黒柱が立っています。元は茅葺き屋根だったそうですが、ご両親の代に今の屋根を作ったのだそうです。この前、息子さん達があと10年はもつように屋根のペンキを塗り直してくれたのだと、嬉しそうに話していました。
 栄さんは20年くらい前まで、広い二階を使ってお蚕さん(養蚕)をされていました。蚕から絹糸を作る養蚕は、生き物を相手にする仕事なので、どんなに天気の悪い日でもエサの桑の葉を取って来てやらなければならず、それは大変だったとか。当時まだ小さかった子供たちにも、取った桑の葉を家まで運ぶ手伝いをさせていたのだそうです。母親である栄さんにとって、それは心苦しいことでしたが、黙って手伝ってくれた子供たちへの感謝は今でも忘れていないそうです。養蚕という仕事はそれほど大変だったのでしょう。
 当時の生活は決して楽ではなく、子供たちが高校へ行って町で下宿をする時も、そんなにたくさんのお金を渡すことはできなかったそうです。それでもお子さん達は「これで十分だよ」と言ってくれていたと、栄さんは振り返ります。時間的な余裕もできた今こそ、そんな子供たちを何かと助けてあげたいのだと話していました。
 栄さんの今のモットーは「できることは何でも自分でやる」こと。趣味の旅行やお子さんの家へ遊びに行くときも送り迎えは敢えて断り、地図や道順を書いた地図を持って一人で行くのだそうです。途中、電車で隣の席の人と話したり、公園で時間を潰したりして、色んなハプニングを楽しみながらゆったりと旅をするのが栄さん流。
 お子さん達にはよく「もっと頼ってくれ」と言われるそうですが、今は何でも一人でやれることが嬉しいし、楽しいのだそうです。私たち取材班にお茶やお菓子を出して下さった時も、77歳とはとても思えない軽やかな足取りで、居間と台所を小走りに行ったり来たりして、私たちを驚かせてくれました。

  • 自力で生きる

栄さん

居住地 硯島地区 戸川
取材日 2002/03/03
取材者名 小宮 一穂