上流研への叱咤激励

 敏さんは一軒家で六人兄弟の次男として生まれたそうだ。そのため、子供の時分はほとんど兄弟たちと家の周りで遊んでいた。山の中も庭のように思っていた。「わたしの家は農業とかやってました。そうそう中学の頃まではモスラを飼っていましたよ」‥‥モスラ?「蚕のこと」。
 高校卒業後は甲府に就職し、数年して父親の呼び掛けにこたえて早川町役場に再就職した。そのくだりの話をしていて「父親にだまされた」と笑っていた。もちろん、跡取りとしての責任感もあった。「うちの奥さんは早川町がどういうところかは知らなかったんだ。だからこっちに越すことができたのかも」。
 今現在は身延に在住しているが、二人の子供は早川町内の学校に通っている。「途中で学校変えるのが嫌だったんだね」、「子供たちには常識と思いやりのある人間になってほしい」「早川町のいいところは自然。でも働く場所が必要ですね。子供や若者がいられるように」。
 2000人のホームページについてどう思いますか。
 「上流研は何をやっているのかわからないところがまだあると思います」「上流研の趣旨はまた別にあるんだろうけど、もっと目に見える形の活動をしてほしいと思います」「もっと現実の問題に短期的に対処できるようにはならないでしょうか?」厳しい意見はわれわれも望むところ。ぜひ今後も研究所に温かい目を向けていてください。

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敏さん

居住地 硯島地区 戸川
取材日 2002/03/06
取材者名 手塚 佳介