黒桂の知識人

 敏郎さんは今まで様々な職を経験し、様々な知識を得てきました。大学時代、東京ではアルバイトとしてボクシング会場の整備員や引越屋などをしていました。ビルの引越は、とても大変だったとか。当時は教員免許も取ったそうです。そして大学卒業後、薬の問屋さんの営業や土建屋さんを経験しました。でも一番楽しかった仕事は市川大門で働いた紙すきの仕事でした。元々ものをつくるのが好きな敏郎さんは、工場で働くことを夢に思っていました。紙すきはとても難しく、一人前になるためにあと5年はやるつもりでした。
 しかし、残念なことに病気を患ってしまい、好きだった紙すき仕事をやめざるを得なくなりました。それでも、今まで得てきた知識はとても豊富で、とっても興味のあるお話をうかがえました。おこじょやたけうまなど昔の子供の遊び方から宇宙などの哲学的な話、そして最後にはコンピュータの話まで。
 以前は黒桂に伝わる御詠歌の保存をコンピュータで試みたとか。その御詠歌は今まで書物には記されておらず、最近まで集落内で7,8人の女性が暗記していたそうです。そういった意味で敏郎さんの試みはとても大切なものだったのです。

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敏郎さん

居住地 都川地区 黒桂
取材日 2002/02/24
取材者名 加藤 浩高