第三の人生

 東三さんはもともと建築業に携わっており、早川町内でも給食センターや教員住宅など、町の人にも良く知られる数々の施設を建ててきました。
 昭和56年頃には、町民の働き口として大規模な養豚場を作り、本業である建築業の傍ら、その経営も行うようになりました。一時は種豚を80頭も飼い、月に80頭ずつ出荷するほどの盛況ぶりだったのだそうです。
 後に人手が足りなくなってからは、東三さんは本業だった建築業をやめ、奥さんと二人で広い養豚場を切り盛りするようになりました。子豚が生まれそうになると一晩中つきっきりで世話をしたりと、それはそれは大変そうな話です。
 お宅の前に繋がれていた番犬は、もともと養豚場でキツネから子豚を守るために飼っていたのだそうで、取材に行った僕らがちょっと視界に入るだけでもずっと吼え続けていたくらいですから、きっと当時も優秀な仕事をしたのでしょう。
 最近になって仕事をやめた東三さんは、新しいことを始めようとデジタルビデオカメラを購入しました。昔は写真を趣味にしたこともあったそうですが、最新のビデオカメラには少し手を焼いている様子。山菜祭りまでには操作を覚えたいと言いますが、なかなかうまくいかないようです。「世界の移りは早い。頭の方が遅いから」と笑う東三さん。いやいや、そんなことはありませんよ。第二、第三の人生に向かって早くも歩き出しているその姿は、僕らの目にも活き活きとして映りました。

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東三さん

居住地
取材日 2002/02/23
取材者名 小宮 一穂