和やかな家族!あつい父!

 肇さんは、下湯島に生まれ育ち、現在は妻のみづほさんと2人の娘さんの4人でやませみ地区のきれいな家に住んでおられます。ご主人の肇さんの趣味は、鉄砲打ち。25年前の22歳の時、おじから鉄砲をもらったのがきっかけとのこと。最初のころは、特に狙いを定めずいろいろなものをとる五目猟で、鳥などを多くとっていました。ヤマバトは塩焼きに、山鳥やコジュケイはうどんのだしなどにしたそうです。
 しばらくして大物(鹿、猪、熊)を狙うようになりました。鹿は、倒れる際すごく迫力があり、うまいものは松阪牛並み。また、ある程度歳をとった猪は知恵があり、猟もやりがいがあります。なかでも3・4才のメスが美味といわれ、頬・タン・背中などは絶品につきるらしいです。熊は、今までで一度だけ仕留めることができました。
 独身時代の印象的な出来事は、昭和57年の台風災害で、豚が川に流され、知人が家から避難して後ろを見るとすでに家が流されていたほどすごいものだったそうです。このため道路が分断され、早川町の奥には半月程行くことができず、肇さんが独身ということで、がけ状の分断場所で川に落ちる危険と戦いながら、応急処置をしました。この災害は、国の激甚災害に指定され、手厚い保護を受けることができ、町民の方々は非常に助かったようですが、川の水がカーブの遠心力で自分の目線より高くなってるのは、後にも先にも見たことがないそうです。
 奥さんのみづほさんは、中学卒業後就職され、会社の寮から定時制の高校に通われていました。寮は学生ばかり7人が一緒の部屋で生活していましたが、50人ほどの寮に洗濯機が2台しかなく、外のコインランドリーに洗濯に行かれたそうです。また、お風呂は先輩の後にしか入ることができず、たいへんだったようです。
 肇さんも、中学卒業後甲府で一人暮らしをされましたが、15才での親との別れはとてもつらかったそうです。また高校時代には、当時50円のコーラを先輩から50円で3本買って来いと言われ、3本中1本は先輩がくれたものの、上下関係の厳しさを痛感したそうです。しかし、現在はあまりにも上下関係がないと嘆いておられました。
 また、早川が成長していくためには、もっと日本上流文化圏研究所を活用しなければならないとも。早川をよりよくしていきたいという熱いあつい思いがひしひしと伝わってきた。
 予算などの詳しい仕組みを知っている役場の方々と、積極的に調査・提案している日本上流文化圏研究所がコラボレーションを組み、住民とともにこれからのまちづくりに柔軟に取り組んで行くことを期待しています。そして、日本を代表するUPPER RIVER TOWNとして大自然と人が仲良く楽しく暮らすことができるまちであるよう心から願っています。

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肇さん

居住地 五箇地区 やませみ
取材日 2002/08/30
取材者名 渡辺 賢