やすんじゃおばちゃん

 京子さんは、昭和30年に山梨市から嫁いで来ました。嫁いだ当時、畑仕事は女性の仕事で、慣れない仕事にとても苦労したそうです。昭和41年から、農協に勤め始め、農協で買い物をしていた人には、今でも”農協のおばちゃん”でお馴染みです。昭和35,6年頃は、寺でよく映画を上映していて、子供をおぶって連れて行ったと言ってました。子供達は山育ちのおかげか、みんな足が丈夫だそうです。当時は人口が町全体で1万人くらいいて、子供は柳島だけでも15人程いたと話していました。柳島は台風の時は川の水が庭まで入ってきたそうです。木もいっぱい流れてくるのですが、そのままでは石が木に入り込んでしまって売れないので、チップに落としてから売って、収入を得ていました。まだ川の水もきれいで、洗濯板を使って、川で洗濯したそうです。大島の方では食堂や旅館、工事の影響で景気が良く、京子さんも農協退職後4年間旅館に勤めていました。
 嫁いだ時には9人家族でしたが、今は息子さんと2人暮らしで、4~11月の間は、一昨年にオープンしたキャンプ場で働いています。このキャンプ場は5年掛かりで作られたそうで、京子さんの楽しみにしていた思いは、その表情から充分伝わって来ました。キャンプ場はシーズンの時期には、とても繁盛し、名古屋、大阪等県外の人もよく来るそうです。京子さんは今の仕事が気に入っていて、特に若い人と接する機会があるのがうれしいと言っていました。キャンプ場のお客さんに手作りの野菜をあげると、お礼の年賀状が届いたり、また来るよと言って帰るのが何よりも楽しいそうです。お子さん連れのお客さんは小学生を連れている人が多く、手仕事が好きな京子さんは、「ススキの穂で作った人形をお土産にあげるととても喜ぶ」と作り甲斐を感じているようでした。外国の方や様々な人がキャンプ場に訪れますが、皆さんマナーが良く、京子さんたちがキャンプ場をきれいにしておくと、お客さんもきれいに使ってくれると喜んでました。京子さんは何よりも人と人との繋がりを大切にし、早川の人たちは丸く、温もりがあり、誰でも親切だと言っていました。そんな京子さんだからこそ、”休んじゃ”と言って、家を訪ねて来た人を家に入れて休ませてくれるのです。

  • やすんじゃおばちゃん

京子さん

居住地 都川地区 柳島
取材日 2002/03/02
取材者名 小野 圭一