今日も父子は真剣勝負

 今日は敏彦さんファミリーのお母さん、久美子さんと、次男の尊文くんにお話を伺いました。
 久美子さんは山梨県にある竜王町の出身です。19才の時、24才だった敏彦さんと結婚した久美子さんは、最初、敏彦さんの出身地である早川町に来ることに抵抗があったといいます。しかし敏彦さんの「もし向こうで仕事がなかったら埼玉に行く」という一言で決意し、夫婦で早川町へと移り住みました。内心、密かに埼玉行きを期待していたそうですが、敏彦さんの人望と実力で「仕事がたくさん集まっちゃったのよ」と笑っていました。
 結婚した次の年、久美子さんは長男の教平くんを出産。さらにその次の年、次男の尊文くんが生まれました。年子の兄弟は小さい頃からよくけんかをして、取っ組みあいになることもしばしばだったそうです。自分が兄弟と年が離れていたため兄弟げんかの経験がなく、最初は恐がって見ていた久美子さんでしたが、けんかをしては仲良くなっていく息子達を見るうちに、だんだん羨ましくなっていったといいます。でも実は、男兄弟の二人だけでなく、敏彦さんもよく子供たちとけんかをするのだそうです。そんな敏彦さんを、久美子さんは「もう一人の、大きな息子みたいなものよ」と笑っていました。
 さて、次男の尊文くんは今18才。この春から建築の現場監督の修行のため、神奈川へ行きます。でも、小さい頃からお父さんに自然の中での遊び方、付き合い方を教えられてきた尊文くんは、いずれ修行を終えたら必ず早川町に帰って来たいそうです。「街の遊びは面白いけど、何度やっても同じ。自然は一日一日で変わるから、毎日でも飽きないんです」と言った尊文くんの輝いた表情は、とても印象的でした。
 尊文くんが父親と同じ建築業に就こうと思ったのは、お父さんが宮大工修行のために通っていた静岡の三重塔の建立を見に行った時。父親と職人たちが「今日はこれだけ進んだ」「よく進んだなぁ」としきりに言っているのに、下から見上げている自分には、何がどう進んだのか全然解らない。それが悔しくて、大工の勉強を始めたのだそうです。でも、尊文くんによれば理由はもう一つあって、「僕は同じ領域では父さんを越えられない」と言って設計の仕事を選んだ、お兄さんの教平くんに負けたくないからだとか。兄が違うジャンルを選ぶなら、自分は敢えて父と同じ土俵で勝負。尊敬する父だからこそ、いずれは越えてやろうという心意気が、僕らにもひしひしと伝わってきました。
 話を聞いていると、どうやら『負けず嫌い』は敏彦さんファミリー共通の活力源のようです。とにかく、ボウリングもスキーもスノーボードも、誰かが始めるとみんなで始めて、張り合って上達していく。小学生の彩妙ちゃんも、他の四人が居間で麻雀していて一人がお風呂などで抜けると、すかさず参戦。家族内でも真剣勝負がモットーの敏彦さん、小学生の娘が相手でも手加減しません。それに鍛えられたのか、最近では結構コワイ存在になってきてるとか。本当に楽しい一家です。
 尊文くんは最後に「うちの家系は人を笑わすことに生きてるから」と言っていました。本当、僕らも取材中はお腹を抱えて笑いっぱなしでしたが、お二人とも、ご満足いただけたでしょうか。

  • 今日も父子は真剣勝負

敏彦さん

居住地 都川地区 柳島
取材日 2002/03/02
取材者名 小宮 一穂