早川の林業覚書

 一敏さんは、東京の南千住のお生まれですが、お母さんが柳島のご出身で、早川町にルーツをおもちです。東京や鹿児島などに移られた後、17歳で早川町に引っ越されました。はじめ早川町では木々の運搬などの山仕事をされましたが、その間、10年間ほど東京の三鷹で旋盤のお仕事をされていたこともあります。再び早川町に戻られてからは、大工の息子さんの仕事を手伝うなどされていました。最近では自宅で山ブドウの栽培に精を出されています。山ブドウはワインの原料として出荷されているそうです。
 早川町での山仕事は、ショウヤと呼ばれる仕事全体を請け負う人の下について、山小屋に泊まりがけでやることもあったと言われます。木を伐ったり、それを運搬したりするなどの作業があります。大勢で伐る場合には、炊事のために人を雇うこともありました。一敏さんの場合、伐った木を、架線を使って運びおろす作業などをされていたそうです。
 こうした山仕事関係で、仕事の無事や、感謝を目的にお祀りする山の神は、女性だといわれているそうです。「一家の奥さんのことをヤマノカミっていうのも、なにか関係あるんじゃないか」と語られていました。また大工の仕事にも、女性の神様を祀ったといいます。トイレをつくる時、櫛(くし)や鏡、ベニ(口紅)といったお化粧の道具を一緒に埋める習慣があるそうです。

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一敏さん

居住地 都川地区 柳島
取材日 2002/03/01
取材者名 吉井 勇也